感想せむ | 村山政二朗

  • PERFORMANCE
  • SHORT
, 19:00〜20:30
PARADISE AIR ラウンジ
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ショート・ステイプログラムの滞在アーティスト村山 政二朗さんによる即興参加型音楽パフォーマンスのイベントを行いました。すずえり、浦 裕幸、のお二人をゲスト演奏者として迎え、普段から主に打楽器と声を使って即興現代音楽を手掛けて活動されてきた村山さんとライブ演奏をしました。

将棋の「感想戦」になぞらえて即興のライブ演奏のあと、演奏者と観客が感想を語り、次に先ほどの即興演奏の録音を聴き、その違いを楽しみながら、演奏者と観客がもう一度振り返り対話をするというイベントを実施しました。

すずえりさんは空間を広く使い、部屋中を動きながら自作のピアノ楽器を奏でたり打ったりしている間、浦さんはギターを演奏し、10秒録音できるカセットテープをループさせたり、ハサミで切ってセロハンテープであらたに繋ぎ合わせたり。その動に対比するように静な村山さんは額にシワを寄せ、腕を組み、集中して聴いていて、時々彼のドラムと声の音が突き抜けました。一瞬一瞬の空気感が絶えずに変わる三人のライブ演奏セッションでした。演奏の後、印象に残ったことや思ったことを参加いただいた観客と演奏者が対話する時間も盛り上がりました。

参加型パフォーマンスイベント「感想せむ」

日程:2022年10月4日(火)

時間:19:00-20:30

会場: PARADISE AIR

住所:松戸市本町15−4 ハマトモビル MAP

アクセス:JR・新京成線「松戸駅」西口より徒歩3分

参加費:1000円 (1ドリンク付き)、予約制

定員:15名程度

演奏:すずえり、浦 裕幸、村山 政二朗

アーティストメッセージ

ある即興演奏家が自分が終えたばかりのライブ演奏について、それに接した聴衆と具体的に話をする。

こういう試みになんらかの創造的な意味が生じる為には、まずは双方の間で話がちゃんと通じるのかどうかが問題だよね、とか言う人には、何と言って良いのかわからない状況についても何かを言おうとする努力をすることは可能でそれには時間がかかることもあるとか、双方の間に実は意味の行き違いしかないとしても、少なくともそれが明らかになった方が生産的では?とか返したくなりますが、小生、余程のことがないとそこまで踏み込みません。

ということで、今回は「プチ余程」にしてみました。

ある事柄について簡単に言って済ますことで、その事柄自体の価値を貶めることもあるし、その逆もある。どんなに言葉を選んでも、言葉が追いつけない事態というのはあるが、それにもかかわらず、その追いつけない事態をなんらかの言葉を使うことにより受け入れることはできるでしょう。語り合う場合も、冷静に、時間をかけてやれるはずなのに、なんで皆急いで、言い合いをする、罵り合うなどの墓穴を掘るの?こちらがずっと音を出さないでいると、なんで音を出さないのかと激昂する演奏者がハイ、いました、いました。

すいません、書き散らしです。

あるアイディアに基づき作られたものの再現行為に対しての印象、感想を語る場合に較べ、(例えば、曲が気に入っているバンドのライブを見に行く場合)、即興で行われたものに対してはより様々な言葉が出てくるのではないでしょうか?即興とは一つの謎のよう。

即興演奏をライブで聴く(というよりは広い意味でそのライブに接する)のと、その音源だけを聴くのとは異なりますが、この点についてはいろいろ考えてみることがあるのではないでしょうか?現実に起きたこととその写し、という側面以外にも。

サイレンス。

ここからは少し、こちら側からの内訳話を。

火事場の馬鹿力的になんとか音を捻くり出そうという即興演奏の状態に近い内容が、通訳者であった故・米原万里さんの文章の中にあります。音の場合は言葉のように意味を伝達しない点で違いがありますが、モード的には同様のことがあるでしょう。

『我々が、何か言葉を出すときのメカニズムというのは、「言葉にならない状態があって、言いたいことや考えや感情や、そういったものがなんとなく形作られてきて、やっとそれを言い表すのにふさわしい言葉とか文の形とか、言い方、スタイル、といったものがまとまって声になって出る」ということなんです。』

同時通訳者の仕事つうのは切羽詰まった状況で如何に難局を乗り切るか、ということのようです。特に困る「クライアント」とは、事前にインプットした情報とは関係のない話を次々に繰り出す方々。そうした身勝手な喋りのノリや真に重要なデータなどのナンダラカンダラを次々に千切っては投げ(ここで「ちぎって鼻毛」、という変換が出た。ダジャレのお好きな米原女史は草葉の陰でニヤとされているかも)、千切っては投げ、と言わんばかりの大車輪状態でかつ正確無比に訳す、感情も込めつつも、エゴに踊らされぬプロフェッショナリスムを発揮する、それが通訳者の仕事でしょうし、そこには上述のメカニズムが高速化したものがあるのでは?と想像します。そこに言語の起源の動力を見るとまでは言いませんが。

(補足 : 65年以降のインプロの歴史を紐解けば、これに一番近い演奏形態はすでに過去の遺物である、となるのですが、そのビジョンには重要なものが欠落していると思います)

即興演奏の場合、演奏家のエゴとの関係とは付かず離れずと言ったところでしょうか。。

ちょうどいい塩梅でないと即、破滅状態に陥る。ただし、そういう過ちもimprovisationには許容できると小生は考えています。

個人的には、何かが”音になって出る”ためには、大まかに言って、聴くというプロセスが(その時すでに体の動きもあるが)まずあることが必要です。で、この大まかの内部がややっこしいとも思います。

音楽の演奏に於いて重要な一要素はたとえミスをしたとしても、音楽が常に流れるようにすることなのでしょうが、そのとき流れて行く方向が一つである (音楽の演奏では始めたら終わりまで続けることが重要であるとされる。これは人間の人生に対する一般的なビジョン。誕生と死は始まりと終わりに対応する。人間が生み出した多くの再現形態(小説、映画、音楽等々)はこれを写したもの)。自分はこれをなんとかしたいと思っています。

具体的には、聴くということから音を出すに向かうならば、ソロの場合は聴きやすさを考え、全体のテンポは遅く取り、その内部に早いパルスを持続すること、また音の間隔を開け、できるだけ一音、一音を空間の中のいろいろな配置していく、そのようなアイディアでこの演奏は行いました。

以上。

村山政二朗

2023.03.13

PEOPLE

村山政二朗

seijiro murayama

2022.09 - 2022.10

村山政二朗
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